【宮田修 アナウンサー神主のため息】誕生日を向かえ思うこと

宮田修

何歳になったころでしょうか、私は10月があまり好きではなくなりました。私の誕生月だからです。また一つ歳をとってしまう。若さがどんどんなくなってしまうという焦燥感に見舞われます。しかし周囲の人は「お誕生日おめでとうございます。」と祝ってくれます。中にはプレゼントをくださる方もいらっしゃいます。有難い話ですが、誕生日というのは、その日を迎える人にとって本当にめでたい日なのでしょうか。

私は子どもの頃から異なった意見を持っています。誕生日というのは本人がお祝いしてもらう日ではなく、自分に命を繋いでくれた両親に感謝する日ではないかと思うからです。私がこの世に生を受けた日のことを想像してみましょう。男の私にはわかりませんが、母親は大変な苦しみの中で私を産んでくれたはずです。ひょっとすると命を落とすかもしれない危険の中で私という新しい命をこの世に送り出してくれたのです。父親は、-これは私にも2人の子どもがいますのでわかります―その日は朝からソワソワして何も手につきません。果して元気な子どもが生まれてくるのか心配し、男の子なのか女の子なのかも思いを巡らします。実に落ち着かない気持ちでその時を迎えるのです。このように考えると自分の誕生日は両親に深く思いをいたす日ではないでしょうか。私はそう思います。

私はごく稀ですが、中学生の前で講演をすることがあります。その時には必ずこの誕生日の話をすることにしています。中学生たちはとても熱心に聴いてくれます。講演の後、生徒たちは必ずと言っていいほど「講演を聴いて」というタイトルで作文を書き、先生がコピーして私に送ってくださいます。その作文ではほとんど100パーセントの生徒が誕生日のことを書いてくれています。

これまた全員が私の考えに賛同してくれています。嬉しいことだと思います。

私は、戦後間もなくの昭和22年に生まれました。戦争が終わって2年後、日本全体が苦しんでいるときでした。しかし私たちは団塊の世代と言われるように実にたくさんの子どもが生まれています。苦しい時でも命を繋ごうとしてくれたのです。我が家には私が生まれるときすでに8人の子どもがいました。私は9人兄弟の末っ子です。普通8人子どもがいれば満足でしょう。しかも食料も乏しい戦後間もなくです。しかし私の両親は私をつくってくれました。有難いです。今、本当にそう思います。私をつくってくれたが故に私は67年の人生を送ることができたのです。もう一度言います。有難いではありませんか。

少子化が進んでいると言われています。自分の子どもが親に感謝してくれなかったらおそらく子どもをもうけたいと思わないでしょう。でも私のように心から感謝している子どももいるのです。もともっと子どもをつくりましょう。そして産んでもらったら両親に深く感謝するようにしましょう。それが私は当たり前だと思うのですが皆さんはいかがでしょうか。(宮田修=千葉県長南町の宮司・元NHKアナウンサー)

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