【小倉正男の経済コラム】「大ロシア主義」プーチン大統領の暴走を止める者たち 「東部ドンバス」が趨勢を決定

■ドネツ炭田発見、ドンバス地方は「産業革命」の地に発展

 ロシアのウクライナ侵攻はすでに8週目だ。ロシアは戦力を再編しドネツク州、ルハンシク州の東部ドンバス地方に振り向けている。ロシアの戦車、装甲車、兵員の損害もすでに相当に深刻だが、ウクライナ政府高官筋は「東部ドンバス地方で今後2週間にわたり次の段階の趨勢を決定的に左右する重大な戦いが起こる」としている。

 そのドンバス地方だが17世紀後半にコサックが定住するまで無人の荒野が無限に広がる地域だった。帝政ロシアの18世紀にドンバス地方で世界有数といわれるドネツ炭田が発見されている。「大帝」の呼称があるエカテリーナ2世の時代に重なるのだが、帝政ロシアはウクライナ、ポーランドを制圧してロシアの領土を拡大している。エカテリーナ2世はドンバス地方、さらにオスマントルコの勢力と戦ってクリミア半島を制圧し黒海、アゾフ海にまで領土を広げている。

 クリミア半島では、オスマントルコに保護・支援されていたモンゴル族の「クリミア・ハン国」を滅亡させている。ドンバス地方は石炭に加えて鉄鉱石鉱山も発見され、19世紀になると採炭、採鉱、冶金など工業が本格的に開始されている。当時でいえば石炭は戦略商品そのものといえる燃料で、工場の機械設備、鉄道、艦船などいずれも石炭がないと動かせなかった。炭田発見は重要な意味を持ったわけである。ドンバス地方は、甚だしく後手に廻っていた帝政ロシアの国家的使命である「産業革命」の地となり、工業地帯になっていった。

■ヒトラーも狙った旧ソ連トップクラスの工業地帯がドンバス地方

 1928年のソ連時代、スターリンは第一次五カ年計画を開始している。第一次五カ年計画はウクライナが密接に関係している。ひとつは「飢餓輸出」=「人工飢饉」(ホロモドール)の過酷体験である。ウクライナは小麦など穀物の一大産地だが、スターリンはウクライナから穀物を奪い取って、輸出に振り向けた。穀物を取り上げられたウクライナの人々は飢餓に襲われ、少なくとも400万人を超える人々が餓死したといわれる。

 スターリンは、重工業がソ連の死活を決めるとして穀物輸出で稼いだ外貨を使って重工業化のための重機械などを買い入れた。それが注ぎ込まれたのがドンバス地方、それにドンバスに隣のハルキウ(ハリコフ=工業で発展したウクライナ第2の都市)である。ドンバス地方は冶金、鉄鋼、銑鉄、重機械、化学、セメントなどソ連でトップクラスの工業地帯にさらに変貌した。ドンバス地方は、第一次五カ年計画の目標である重工業=軍需産業地域になっていった。(帝政ロシア、そしてソ連時代から現在の親ロシア住民の母体となるロシア人労働者のドンバス地方への移住・移民が進んでいる。)

 第二次世界大戦時の独ソ戦(1941~45年)でヒトラーは、戦略目標としてウクライナとりわけドンバス地方、さらにはハルキウが決定的に重要であると見ていたといわれている。ドンバス地方の工場労働者などを“ドンバスの資源”として、ドイツの工場に強制的に移送している。80年以前の当時だがドイツとしても鍛造、鋳造はじめとした熟練工が軍需関連機械工業にとって、どうあっても足りない“ドンバスの資源”だったとみられる。

■プーチン大統領が狙うのはエカテリーナ2世の「ノボロシア」に二重写し

 ロシアのウクライナ侵攻は、「プーチンの戦争」と名付けられている。確かにプーチン大統領の「世界観」、「思い込み」といったものによる侵略の面が濃厚だ。日本の専門家などが右往左往して読み切れないでいる。おそらく、長らく権力を握ってきたプーチン大統領の妄想ともいえる「大ロシア主義」が関連しているようにみえる。それはクリミア半島、そしてドンバス地方への異様なほどの固執、こだわりから浮き彫りされてくる。

 クリミア半島、ドンバス地方などはエカテリーナ2世がロシア領に併合した地である。さらにドンバス地方はスターリンの重工業化が関係している。二人の権力者は類例なくロシアの領土を拡大している。2014年、プーチン大統領はクリミア半島の実効支配に並行して、ドネツク州、ルハンシク州のドンバス地方のアゾフ海沿いでも「親ロシア独立国」を樹立させている。(ハルキウでも同時期に親ロシア独立国にしようと試みたが失敗。だが、プーチン大統領は決してハルキウを諦めていない。)

 エカテリーナ2世は、クリミア半島、ドンバス地方などを「ノボロシア」(新しいロシア)と呼んだが、プーチン大統領の2度のウクライナ侵攻は、まさにエカテリーナ2世の「ノボロシア」の地にピタリと重なっている。プーチン大統領の「大国主義」の妄想は、エカテリーナ2世のそれにまるごと二重写しである。ただ、プーチン大統領のその思いは、これらのクリミア、ドンバスの「ノボロシア」併合で完結するかどうかは不透明だ。それどころかプーチン大統領の思いには不都合にもロシア劣勢・敗勢で終わる可能性も十分残されている。

■「大ロシア主義」では「民族自決」などは無意味な概念

 スターリンとの関係でも「大ロシア主義」では通貫している。レーニンはロシア人が持っている「大ロシア主義」を警戒し、民族自決をソビエト政権の原則とした。レーニンの民族自決には批判は少なくなかった模様だが、帝政ロシアが併呑していたバルト3国、フィンランド、ポーランドの独立を一応承認している。だが、スターリンは第二次世界大戦時にバルト3国などを再併合している。スターリンは、プロレタリアートの利害、あるいはロシアの利害が、民族自決と対立した場合は、民族自決は優先されないとした。いまのロシアではレーニンは不人気だとされるが、これはプーチン大統領の評価が関係しているかもしれない。

 「大ロシア主義」では民族自決は尊重されない。「大ロシア主義」では、ウクライナのみならず周辺諸国の何処であれ民族自決などは、ロシアの利益の前では無意味にほかならない。ポーランド、バルト3国、フィンランド、チェコなどロシア近隣国は言うまでもない。そして我が日本にもプーチン大統領の「大ロシア主義」の世界観は深刻な恐怖を突き付けている深層となっている。

(小倉正男=「M&A資本主義」「トヨタとイトーヨーカ堂」(東洋経済新報社刊)、「日本の時短革命」「倒れない経営~クライシスマネジメントとは何か」(PHP研究所刊)など著書多数。東洋経済新報社で企業情報部長、金融証券部長、名古屋支社長などを経て経済ジャーナリスト。2012年から当「経済コラム」を担当)(情報提供:日本インタビュ新聞社・株式投資情報編集部)

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