【小倉正男の経済コラム】「東濃」の山城 岩村城「女城主」おつやの方

■「東濃」は岩村城など山城のメッカ

 中津川市、恵那市は岐阜県の「東濃」という地域にあたる。名古屋から中央本線で行ける。岐阜県の多くの人も中津川、恵那に行くには名古屋で乗り換えて、この路線を使っている。アクセスは案外なことに利便性がある。

 私が中津川、恵那に伺ったのは3度目だ。相当以前だが恵那山トンネル工事取材で、建設用トロッコで切羽の最先端まで行ったことがある。その次は“デフレに強い経済”ということで、2000年代前半に大変なブームだった「名古屋経済」の企業取材だ。そして今回は「東濃」の山城巡り――。「東濃」は岩村城、苗木城など山城のメッカ、全国でも山城でトップランクの人気を持つ地域である。

 観光経済では、岐阜県は全国で実績上位の存在である。何しろインバウンドを含めて絶大な人気を誇る高山市、白川郷、下呂温泉という「飛騨」を抱えている。

 それに比べると「東濃」は地味な存在であり、飛騨に圧倒的に差をつけられているのが現状だ。しかし、「岐阜」「中濃」「西濃」に比べると観光客を呼び込んでいる。山城もそうだが、城下町、宿場町など観光資源が手垢つかずに現存している。

 そのうえ先をにらむと「ゲームチェンジャー」といえば大げさだが、「東濃」の観光経済を劇的に変えるファクターがある。現在工事中のリニア新幹線だ。リニア新幹線は、「東濃」の山城の直下を通過する。東京から中津川、恵那までの時間は40分。「東濃」の観光経済を大きく変える可能性がある。

■岩村城本丸虎口「六段壁」

 それはともかく岩村城(恵那市)、日本三大山城のひとつと評されている。海抜717m、日本で最も高所に築かれた城だ。竹下登内閣時のふるさと創生1億円の一部を投入してつくられた山道をひたすら登る。

 だが、どこまで行っても木々に覆われて城らしいものは見えない。ちなみにそれ以前、すなわちふるさと創生資金投入前の山道は雨が降ったらドロドロで登るのは困難だったといわれる。

 山頂に至ってようやく岩村城本丸虎口「六段壁」の石垣が見えてくる。戦国期は土塁だったといわれる。江戸期に最上部を高石垣で組んだが、崩落を繰り返した。崩落を防止するために石垣を組み上げて犬走りが設けられ「六段壁」になった模様だ。「六段壁」という本丸虎口城壁は類例がなく、山城マニアには聖地に近い景観ということである。

■「女城主」おつやの方

 今どきは景観が重要視されているが、岩村城の付加価値は故事来歴にある。岩村城は、鎌倉期に源頼朝重臣・加藤景廉が美濃遠山荘(現在の恵那市、中津川市、木曽馬籠など)の地頭になったことに始まる。景廉の長男である景朝が遠山氏を名乗り、岩村城を築いた。遠山氏宗家代々の拠点となっている。戦国期は、岩村城は信濃、あるいは三河と国境を接しており、織田信長と武田信玄の戦いでは最前線の要衝となっている。

 信濃を制した武田信玄と美濃を手に入れた織田信長が初めて国境を接したのが岩村城の地だ。当初は「甲尾(甲斐・尾張)同盟」を結び、お互い無用な争いは回避していた。遠山氏も「両属」で織田、武田双方と婚姻関係を結んでいた。だが、次第に「両属」は困難になる。当主の遠山景任は信長の叔母・おつやの方と婚姻を結び、信長五男・御坊丸を養子とした。織田側に立って、遠山氏の領地への武田の侵攻を抑えようとしたわけである。

 しかし、遠山景任は病没し、御坊丸がまだ3歳と幼少だったことでおつやの方が岩村城主になっている。いわゆる「女城主」である。そんなところに武田側武将の秋山虎繁が侵攻、旧岩村城下町は焼き討ちとなっている。おつやの方は信長の支援を待って籠城したが、信長は長島一揆などで岩村城に動くに動けなかった。籠城は3カ月に及んだが無血開城、意外な結末を迎えている。

■謎が多いおつやの方と秋山虎繁の婚姻

 秋山虎繁の無血開城の条件は、おつやの方を自身の妻に迎えるというものだった。そのうえで御坊丸(後の織田勝長・本能寺の変で討ち死)はそのまま岩村城で養育するとされた。そうした「和議」「和睦」は前代未聞に違いない。

 岩村城に籠っていた遠山一門衆、郎党衆は織田派、武田派に分裂していたようだが、いわば武田派が勝ってその条件を受け入れている。一見融和的なものに見えるが、結果としては、御坊丸は甲斐の武田信玄の下に人質として送られている。信玄が御坊丸の養父となったわけである。

 秋山虎繁とおつやの方の婚姻については謎が多い。現地ガイドさんの見解は、「虎繁がおつやの方に一目ぼれしていた」。

 秋山虎繁は軍事・行政・外交などで能力があったとみられる。ガイドさんは、「虎繁はある時期に岐阜で信長に謁見を許され、その後に岩村城に立ち寄りおつやの方を見初めた」。虎繁は「甲尾同盟」交渉などに関係していた形跡がある。おつやの方を見初める機会があったのかもしれないが、それを裏付ける文献・資料は残されていない。

■江戸期の商家の建物が現存する岩村城下町

 結末を急ぐが、岩村城は長篠の戦い後に信長の命により嫡男・織田信忠が率いる大軍に包囲される。半年近い籠城の末に、秋山虎繁はおつやの方をはじめ遠山一門衆、郎党などの助命を条件に開城する(元亀3年・1572年)。

 しかし、開城後に約束は反故にされた。一門衆、郎党衆は討たれ、信濃に帰る城兵3000は国境の木の芽峠で待ち伏せにより全滅。秋山虎繁、おつやの方は岐阜・長良川で逆さ磔の刑に処されている。

 岩村城下町は江戸期、明治初期の商家の建物が立ち並んでいる。大火に見舞われなかったということで作り物ではない本物の城下町が現存している。往時はこの城下町の通りから直線上部にそびえる城山の真ん中に岩村城本丸が見えていたといわれる。

 江戸期からの歴史を持つ岩村醸造もこの通りにお店がある。近隣などからのお客にお酒をふるまう「蔵開き」はお祭り並みの賑わいである。純米吟醸「女城主」などが人気だ。岩村城下町名物の五平餅ももちろん旨い。(経済ジャーナリスト)

(小倉正男=「M&A資本主義」「トヨタとイトーヨーカ堂」(東洋経済新報社刊)、「日本の時短革命」「倒れない経営~クライシスマネジメントとは何か」(PHP研究所刊)など著書多数。東洋経済新報社で企業情報部長、金融証券部長、名古屋支社長などを経て経済ジャーナリスト。2012年から当「経済コラム」を担当)(情報提供:日本インタビュ新聞社・Media-IR 株式投資情報編集部)

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