【作家・吉田龍司の歴史に学ぶビジネス術】『ラ・マンチャの男』とともに苦難を乗り越えよう、大暴落と『ドン・キホーテ』の風車
- 2016/1/19 10:00
- 株式投資News
2016年のマーケットがとんでもない幕開けとなっている。
今、何を言うべきだろう。私のような小心者は、現在進行形の大暴落にただただ呆然とするばかりだ。百万言を連ねたとしても、まるで風車に突撃する『ドン・キホーテ』のように、むなしく思えてならないのである。
こんなとき賢人ならば何と言うのだろう、と思っていろいろ調べてみると、その『ドン・キホーテ』の作者セルバンテス(1547~1616)が気の利いた言葉を残していた。
「流れに逆らおうとしたところでむだなことだ。流れのままになっていれば、どんな弱いひとでも岸に流れつくものだ」――。
色々な解釈ができる言葉である。ひとまず持ち高を整理して、ボーっとしていれば岸にたどりつける。かもしれない。
セルバンテスはスペインの人で、今年で没後400周年を迎える。セルバンテスとドン・キホーテの物語を軸にしたブロードウェー・ミュージカル『ラ・マンチャの男』もよく知られるところだろう。
■その生涯は逆境に次ぐ逆境!
セルバンテスが生きた、スペインの16、17世紀とはどんな時代だったか。大航海時代を経たこの時代は、アメリカ大陸やフィリピンなどに広大な植民地を領し、世界の覇権をほしいままにした「黄金世紀」から、落日へと向かう大変革期であった。
なお、この時代のヨーロッパはスペインなどキリスト教文化圏と、オスマン帝国などのイスラム文化圏の二大勢力に分かれ、対立と抗争を続けていた。こうした基本構造は400年後の現代もほぼ同じであり、同じ問題にヨーロッパは苦しみ続けている。
この中、セルバンテスは激動の時代のとばっちりを一身に受けるかのような、苦難の人生を歩んだ。若くして「無敵艦隊」で有名な世界最強のスペイン海軍に入隊。だが地中海の覇権を巡るオスマン帝国との大海戦「レバントの海戦」で負傷し、左腕を失った。
その後、イスラムの海賊に拿捕され、北アフリカのアルジェで奴隷生活を送る羽目になった。33歳となった5年後、ようやく解放されてスペインに帰国。文筆で身を立てようとしたがうまくいかず、40歳になって「無敵艦隊」の食糧徴発人となった。しかし、直後の1588年に無敵艦隊はドーバー海峡でイギリス艦隊に大敗してしまう(アルマダの戦い)。スペインの没落とイギリスの台頭がこれより始まり、セルバンテスは失職の憂き目に遭った。
■経済危機の中でよみがえるセルバンテス
その後もセルバンテスの生涯は不運の連続だった。銀行の破産事件に巻き込まれるなどして何度も投獄され、妻とも別居した。
漂白の生活を続けていた彼が『ドン・キホーテ』(前編)を執筆したのは58歳のときである。かなりの遅咲きだが、何とか花を咲かせることには成功したのである。
もっとも、生活苦は続いた。『ドン・キホーテ』は出版と同時に大好評で版を重ねたが、版権を安い金で売り渡していたのである。
その後の10年間、『ドン・キホーテ』の後編や多くの中・短編をものすなど、旺盛な執筆活動を続けたが、1616年にマドリッドで赤貧のうちに68歳で亡くなった。葬式費用もなく、遺体は共同墓地のような場に埋葬された。
経済的な不遇は変わらなかったわけだが……作家として充実した晩年を過ごせたことは救いであろう。ラ・マンチャの男は最後までくじけなかったのである。
そして現在。スペインでは観光事業の振興を図るため、セルバンテスの借家があった地を「セルバンテス通り」と名付けたほか、昨年には何とセルバンテスの遺骨(と思しきもの)を特定することに成功した。どうやら墓として整備される見通しである。
スペインは深刻な経済危機という風車に、とにかく立ち向かわねばならない。セルバンテスにも再び働いてもらわねば困るわけである。存命中に厚遇して欲しかったうらみは残るのだが、本人にとっては、まあ名誉なことであろう。
「運命というものは、人をいかなる災難にあわせても、必ず一方の戸口をあけておいて、そこから救いの手を差しのべてくれるものよ」(『ドン・キホーテ』前編より)。
大波乱の2016年。今はこの言葉を信じることにしよう。
(作家=吉田龍司、『毛利元就』(新紀元社)、『信長のM&A、黒田官兵衛のビッグデータ』(宝島社)など著書多数)