【アナウンサー神主のため息】僕はコウノトリに運ばれてきた?
- 2016/3/31 10:19
- 株式投資News
先日、20代の若者たち数人と話をしていて驚いたことがあります。人間の命について話をしていました。すると一人の若者が自分はコウノトリに運ばれてきたと教えられ、子どもの頃それを信じていたというのです。コウノトリが赤ちゃんを運んでくる話は私も聞いたことがあります。この話はもちろん日本の話ではありません。ドイツのおとぎ話がもとになっているようです。
私がここで問題にしたいのは、この日本の若者が子どもの頃、それを信じていたという事実です。なぜならコウノトリの話は、日本人の命に対する伝統的な考え方とはあまりにもかけ離れているからです。この青年は子どもの頃、日本人の考え方ではなくドイツの考え方をどうやら教えられたようなのです。おかしいと思いませんか。日本人の考え方を身につけた上で、他の国の考え方を知るのなら宜しいでしょう。そうではないところが私は問題だと思うのです。
では日本人の命に対する考え方はどのようなものでしょうか。実は現在の日本人のほとんどがご存知ないのです。それは自信をもって言うことができます。なぜなら、この私も神主になる前は知らなかったからです。皆さん「中今を生きる」という考え方を知っていますか。おそらく初耳でしょう。説明しましょう。自分は今生きている。なぜ生きているかと言えば両親がいるからだ。両親は祖父母がいたから生まれたのだ。日本人は、このように一つの命には2、4、8、16、32、64・・・の命が関わっていると考えました。そして両親から繋がっている無数とも言える命の中のたった一つの命がなかったとしたら自分は生まれてこなかったと考えたのです。そうですよね。曾おじいさんがいなかったらおじいさんかおばあさんはいません。したがって両親のどちらかも存在しませんので自分もいないのです。すべての命がそろっている中で自分は奇跡的に命を引き継ぐことができたと日本人は考えたのです。やがて成人すると伴侶を得て子どもが生まれます。その子どもにもやがて孫ができるでしょう。このように命はご先祖から両親を通じて自分に引き継がれ、子孫に伝えていくべきものと考えてきたのです。
自分の命は決して自分だけのものではなく、次々にリレーされるものであり、伝えられていく中の今を私たちは生きている。つまりこの考え方が「中今を生きる」です。神主の資格を取得する勉強の中でこの考え方を初めて知り、私は感動しました。同時に子どもの頃からこの日本人の伝統的な考え方を教えられなかったことを不思議に思ったのです。人間の命は永遠ではありません。長生きしても100年でしょう。しかし命をリレーすることで命は永遠になれるのです。自分を引き継いだ子ども、孫、ひ孫が存在することで自分が永遠になれると感じられるのです。素晴らしい考え方だと私は思いました。
「ご先祖様」などという言葉は、現在の日本ではほぼ死語になりました。それはそうでしょう。私も含め戦後の日本では個人の大切さを重視するあまり「親は親、自分は自分―それぞれは別人格」と教えられてきたのですから無理もありません。私は神主になって両親やご先祖様を日々意識する生活をするようになりました。自分の命に関わった人たちが私を見つめ、守ってくれていると考えると実に心が穏やかなるのです。皆さんも日本人の伝統的な考え方を見直してみてはいかがでしょうか。命に対する日本人の考え方についてはまた書いてみたいと思っています。(宮田修=元NHKアナウンサー、現在は千葉県長南町の宮司)(情報提供:日本インタビュ新聞社=Media-IR)