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【小倉正男の経済羅針盤】初代・諸戸清六は情報で生き残った
- 2015/6/24 09:59
- 小倉正男の経済コラム
■江戸期の「旗振り通信」=大阪から桑名まで10分で情報を伝達
「旗振り通信」という通信システムをご存知だろうか。
江戸中期から明治期に使われていた大型の手旗信号である。大阪・堂島の米相場をほかの地域に伝える。ほかの地域の米相場を大阪に伝える――。
商売・ビジネスには情報が付きものである。この「旗振り通信」のスピードが凄い。大阪から京都が4分、桑名が10分、岡山が15分といったスピードで情報が伝達された。
「旗振り通信」は、米相場、つまりは相場による商売・カネ儲けで発達したものだ。おカネの盛衰、勝ち負けがかかっているのだから、スピードと同時に正確さが求められる。情報がなければ売り買いはできない。まして勝てない。
幕末には英、仏などの軍艦(黒船)が現れた時に「旗振り通信」で情報が各地に伝達されたとされている。
■桑名に現存する「六華苑」(旧諸戸清六邸)
伊勢・三重県の桑名を訪れると「六華苑」(旧諸戸清六邸)が現存している。
「山林王」「日本一の大地主」といわれた二代目・諸戸清六の邸宅である。鹿鳴館を設計したイギリス人建築家ジョサイア・コンドルによるヴィクトリア朝様式の洋館・庭園――。
明治44年(1911年)着工、大正2年(1913年)竣工。わびさびに流れず、明治という新時代を代表する建築といえる。
実はというか本当のところは、「山林王」「日本一の大地主」となったのは初代・諸戸清六にほかならない。
初代・諸戸清六は大隈重信、岩崎弥太郎などの盟友と結び、西南戦争の兵糧調達で巨大な財をなしたといわれている。
この初代・諸戸清六が用いたのが「旗振り通信」にほかならない。米相場の情報、西南戦争の戦況などの情報を収集した。買い集めた兵糧は、海運に強かった岩崎弥太郎の手で九州の政府軍に運ばれた。速くて正確な情報がなければ、生き残れず、勝ち残れない。
■情報とどう付き合うか――、そう簡単ではない
「ワーテルローの戦い」(1815年)では、ネイサン・メイアー・ロスチャイルドが情報を駆使して莫大な利益を上げたという「伝説」が残されている。
「ワーテルローの戦い」でナポレオンが勝利すれば、イギリスの公債は暴落する。その確率はかなり高いとされていた。ロスチャイルドは、戦場から伝書鳩などで情報を伝達する体制を構築し、いち早くウェリントン=イギリス勝利の情報をつかんだ。
その際、ロスチャイルドはイギリス公債を売り飛ばした。ほかの投資家の大半はイギリスが敗北したと確信して、売りに追随――。
大暴落したところで、ロスチャイルドは公債を買い占めた。このあたりは後につくられた「伝説」ともいわれるが、情報の重要性を物語っている。
いま情報は、ほどほどとはいえ、ないとはいえない。情報をどう収集し、どう使うか。情報とどう付き合うか。このあたりは偉そうなことはいえない。事実そう簡単ではないように思われる。
日本経済・マーケットにいま起こっているデファクトな変化――世の経営者たちも見えている人ばかりではない。見えていない、見ようとしない経営者もいる。このあたりが先行きに生き残れるか、生き残れないかを分けることになる。
(小倉正男・経済ジャーナリスト。『M&A資本主義』『トヨタとイトーヨーカ堂』(東洋経済新報社刊)、『日本の時短革命』『倒れない経営』『第四次産業の衝撃』(PHP研究所)など著書多数。東洋経済新報社で編集局記者・編集者、金融証券部長、企業情報部長などを経て現職。)