- Home
- 小倉正男の経済コラム
- 【小倉正男の経済コラム】「アベノミクス」依存~継続か離脱か
【小倉正男の経済コラム】「アベノミクス」依存~継続か離脱か
- 2022/7/14 12:45
- 小倉正男の経済コラム
■支払い金利は極小化
銀座、新橋などの目抜き通りを歩いてみたら、もう何年も以前からのことらしいのだが大手銀行の路面店が消えている。おそらく元の路面店の周辺なのだろうが、銀行店舗は近隣のビルの何階かに移転したということである。確かに、郊外でも駅前から銀行路面店は消え、駅から離れたビルの上階フロアに移転している。
金融の異次元緩和、ゼロ~マイナス金利が9年ほど継続している。以前には、企業各社は金利支払いで赤字化し、倒産したりしたものだが、支払い金利というコスト負担は極限まで軽減されている。反面では何もなすことなく、といえば語弊があるが貸し出しで巨額収益を稼いでいた銀行の路面店が目抜き通りから去っている。
ある大手機械企業A社の決算でみると、A社の有利子負債は1070億円だが支払い金利は13億円に収まっている。同様に中堅機械企業のB社でみると、170億円の有利子負債で支払い金利は2・2億円である。A社、B社とも実質的な支払い金利負担率は1・2%内外。企業は普通にやっていれば、金融超緩和により収益が生み出される構造になっている。
新型コロナ禍下の2021年度の税収だが、法人税、所得税、消費税の「基本3税」が伸長している。法人税が伸びているのだから、企業でいえば収益が増加していることになる。もちろん、企業収益のなかには「雇用調整助成金」など補助金の注入も含まれている。国としても、金利安、円安、そして補助金給付などを何とか複雑にやりくりを繰り返しながら、税収を上げている。
■「アベノミクス」からの離脱、「アベノミクス」完遂とも困難
国も企業もこれが案外辞められない。金利安、円安、それに補助金という構造(環境)が居心地よいわけである。これを変えるには株価下落など大きな軋轢、衝撃が走ることになりかねない。結果的には何とかやりくりできている。それならこのままでという「依存症」が続いている。この「依存症」がかなり強固であり、居心地がよいだけに手を付けられない。
参院選挙後、岸田文雄首相に「アベノミクス」からの離脱を期待する向きが存在している。逆に安倍晋三元首相がやり残した「第3の矢」=「規制緩和を含む成長戦略」の完結に取り組むべきという向きも存在している。
岸田首相は、「新しい資本主義」「新自由主義の見直し」「デジタル田園都市国家構想」「所得資産倍増プラン」など目先を変えるようにコンセプトをこれでもかと乱発気味に打ち出している。だが、いずれに対しても気概・バックボーンは乏しいようにみえる。「アベノミクス」からの離脱、あるいは逆に「アベノミクス」の完遂を求めてもそれは無理、あるいは見当違いといえるかもしれない。
■「アベノミクス」依存から離脱という切迫する現実
「アベノミクス」、金融の異次元緩和による超低金利、財政出動、規制緩和など改革による成長戦略の「3本の矢」は、死んでいた日本経済を再生させるという明確な狙いがあった。少なくともそうした危機感からスタートしたのは間違いない。
しかし、こうした“劇薬”ともいえる試みは、あくまで厳格に期間を限定して短期間のうちに「第3の矢」まで一気に打ち放す必要があった。短期というのは3年~長くても5年。だが、「アベノミクス」に期限は付けられていなかった。そして、そのうえ「第3の矢」=「規制緩和など構造改革による成長戦略」は結局のところ実施されなかった。
規制緩和など成長戦略に手を打たないとすれば、超低金利、財政出動は一体何のため行ったのかということになる。果たして「強い経済」をつくるはずが、ゴールは変更されて経済の居心地をよくすることにすり替わった感がある。
「アベノミクス」は実質的に9年を超えて実施されている。国も企業も9年という長期に及んだ「アベノミクス」に適合して慣れすぎており、簡単には変えられない構造になっている。超低金利、円安は一時的なカンフル剤のつもりが、いつの間にか常備薬になり替わってしまっている。いわば、国も企業も全体が「依存症」になっており、政策の柔軟性を失わせている。
だが、日本がひとり超低金利を維持することも困難になっている。世界的な景気後退が意識されているが、その一方で米国のインフレ(6月CPI消費者物価指数9・1%増=エネルギー、家賃、食品価格など高騰)は止まってはいない。米国はさらなる利上げに踏み込まざるを得ない状況だ。超低金利政策、すなわち「アベノミクス」に転換が切迫しているのも紛れもない現実である。
(小倉正男=「M&A資本主義」「トヨタとイトーヨーカ堂」(東洋経済新報社刊)、「日本の時短革命」「倒れない経営~クライシスマネジメントとは何か」(PHP研究所刊)など著書多数。東洋経済新報社で企業情報部長、金融証券部長、名古屋支社長などを経て経済ジャーナリスト。2012年から当「経済コラム」を担当)(情報提供:日本インタビュ新聞社・株式投資情報編集部)