2013年03月07日
決算情報メディアアイアール 日本インタビュ新聞社

アイ・エム・アイ:10年毎に成長して生まれ変わるアンチ・エイジングカンパニーを目指す


■過去40年間業績は順調に拡大、前12年12月期は過去最高益を達成

 人工呼吸器の販売・レンタルのアイ・エム・アイ<7503>(JQS)は2月26日、前12年12月期決算説明会を開催した。

 前期12年12月期業績は、売上高79億37百万円(前年同期比1.0%増)、営業利益17億76百万円(同7.3%増)、経常利益17億98百万円(同5.7%増)、純利益10億3百万円(同7.4%増)と増収増益で売上・利益ともに過去最高を達成した。

 売上に関しては、体温管理機器、ビデオ喉頭鏡、新製品の骨髄ニードル穿刺システム等の商品販売が好調であった。一方レンタルについては、新型インフルエンザ特需に伴う人工呼吸器の普及台数増加による減少と新商品投入遅延が影響して、減収となった。ところが、メンテナンスが4期ぶりに増収となり、加えて、旧子会社の取扱商品の売上が病院新築に伴い増加したことで、全体では増収となり、2期ぶりに過去最高を更新した。

 利益については、レンタル売上の減少による減益要因が1億28百万円あったものの、レンタル原価の減少、販管費の削減、商品売上の増収効果、円高の影響等があり、過去最高の営業利益を達成した。その結果、経常利益、純利益ともに最高益となった。

 財務内容は、総資産138億40百万円(同9億72百万円増)となっている。内訳は、流動資産103億27百万円(同12億19百万円増)、固定資産35億13百万円(同2億46百万円減)。流動資産の増加要因は、好業績を達成したことから現金及び預金が10億51百万円増えたことと有価証券の増加による。固定資産は工具器具・備品の減少と投資有価証券の減少による。

 純資産は115億64百万円(同8億3百万円増)と増え、負債も増えたことから自己資本比率は前年と同じく83.6%と健全そのもの。

■今期売上高は19.7%の増収だが、円安響き減益を見込む

 今期13年12月期業績予想は、売上高95億円(前期比19.7%増)、営業利益17億円(同4.3%減)、経常利益17億20百万円(同4.4%減)、純利益9億65百万円(同3.8%減)と過去最高の売上でありながら、減収を見込んでいる。要因は、円安により、海外からの商品仕入れ価格が高まることから利益が圧迫されるため。

 しかし、2ケタの増収を見込んでいるように、同社の売上は今期も順調に推移すると見ている。また、為替レートを1ドル95円で換算しているが、為替の動向次第では、増益になる可能性もある。

 現況としては、安部政権の円高是正により、輸出産業が回復傾向にあるが、内需に依存する企業は依然として先行きは不透明な状況である。ところが、同社は、前期業績が過去最高益を達成しているように、順調そのもの。何故、同社がこれまで成長することが出来たのか、決算説明会で、その理由の一端を伺うことが出来た。

■会社を創立した1974年はオイルショック直後、厳しい環境の中で成長

 同社では、事業を活性化し、アンチ・エイジングカンパニーとなるため10年毎に事業の見直しを行っている。これまでの取組みについて、代表取締役社長積賀一正氏より詳しい説明が行われた。

 10年毎にビジョンを変えていこうという取組みを創業以来行っている。会社を創立した1974年はオイルショック直後で、今の経済状況では考えられない程大変厳しい状況であった。しかし、環境というのは未来永劫同じということは無いと思い、未来永劫のビジョンを掲げることは止めようと考えた。その結果、我々は10年後にどうなるか、そのために10年毎にビジョンを変えることを決めた。10年の間に、創業して成長することが出来たら、次の10年では、更に新しいビジョンの下で創業して更に成長する。また10年経過したら、更に新しいビジョンの下で創業して更に成長して生まれ変わるということで、アンチ・エイジングカンパニーとして成長を続けることが同社の出発点での考えである。

 創業当時は厳しい環境であったので、10年後はどのような会社になりたいのか、その当時積賀社長は、「ベンツをセドリックかクラウン並みの値段で販売する会社にしたい」と思った。最初の10年で、良いものを安い値段で販売する会社作りに取組んだ。安く販売するため、原価を高くする要因である交際費、販売費を全部カットした。あらゆる商習慣の中でハイコスト要因となるものを全部無くした。その結果、世界の一流品を国産の価格帯で販売することに成功した。一方、治療機械というものは故障することがあるので、創業5年目で、お客さんが安心して使えるように、メンテナンスサービス業を開始した。メンテナンスサービス業は、当時どこも行っていなかったことから、同社が日本でのパイオニアとなった。考えは的中して、最初から業績は順調に推移し、倍々ゲームで成長した。そのため、ベンチャー企業として、マスコミなどで取り上げられた。ところが、社員が傲慢になった。そのため、あまりにも危険と感じたのでリ・クリエーションを1年前倒しして、9年目で実行した。役員を一人退任させたり、管理職を半分入れ替えたりして、少し荒っぽいことも行ったが、そのくらいのことをやらないと生まれ変わることは出来ないという思いで実行した。

■"安全を売る会社づくり"の実現に努め、故障が無いということで評判となる

 では、次の1983年から1993年の11年間をどうするか、社員に考えさせたところ、当然これまでモノを販売して成長してきたのだから、モノの種類を増やし、売上高を伸ばすという回答が出てきた。しかし、会社の経営陣は、他社の歩いて来た道をたどることになるということで、この案を取りやめた。当時、海外から輸入した医療機械を使ったところ、医療現場で医療事故が起きていたことから、事故が起こらないような安全を売る企業になることを目標とした。企業として、医療器具を販売しただけで収益をあげるのではなく、販売後も安全を保証することを目標とした。そのために、スタッフの教育、メンテナンスの教育を行える環境を整えるために、越谷に本社を移し、十分なスペースを確保し、"安全を売る会社づくり"の実現に努めた。その結果、同社が販売した医療器具は故障が無いということが評判となり、全国の病院から信頼を獲得したことから、メンテナンスサービス事業は本格的に発展した。一方で、米国から人工呼吸器を輸入して販売していたが、米国企業が全ての特許を同社に売却し、同社が製造業も行うことになった。第2次の再創業運動も順調に推移して、事業規模は拡大した。

■製造業から撤退して、商社としての道を歩む

 1994年から2002年の次のテーマは"いいものと安全をはやく、安く売る会社づくり"の下で、事業を推進した。当時はバブルがはじけて、日本経済は不況の中にあったことから、医療予算も少なくなった。しかし患者は増加し、病院としては、いいものを安く、しかも早く必要としたことから同社では、レンタルサービス業を開発した。つまり診療報酬でレンタルとして使って得た収入を病院とシェアするシステムである。レンタルサービス業も同社がパイオニアとなっている。一方の人工呼吸器の製造販売は、世界競争に完全に負けたことで、米国のケアフュージョン社と業務提携し、製造業から撤退して、ケアフュージョン社の製造したモノを日本で販売する商社としての道を歩み始めた。第3次の再創業運動も紆余曲折はあったものの、業績は順調で、事業規模は倍増となった。

■医療事故が社会問題となっていた時期に"最も信頼される治療機器サービスプラットフォームづくり"というテーマに取り組む

 第4次のリ・クリエーションは2003年から2013年の11年間。テーマ探しは、従来と異なり、積賀社長一人で行わないで、中途採用の4名の役員も参加して5名で行った。その結果、"最も信頼される治療機器サービスプラットフォームづくり"というテーマとなった。そのテーマとなった背景には、99年のクリントン大統領に提出された医療アカデミーの報告書の中に、アメリカ入院患者の4万8000人から9万6000人は病院が原因で亡くなっているという大変ショッキングなレポートにある。重症患者も含まれているので全部は救われなかっただろうが、少なくとも半分以上の人は救われたのではないだろうかという意見が出てきていた。これが有名な「人は間違える」である。「人は間違えないというシステムに無理がある。人は間違えるのである。機械も壊れるのである。だけど殺してはいけない。」という有名なリポートが出た。丁度その年に日本では、2つの病院で医療ミスが起こり、メディアでたたかれた。医療事故が社会問題となっていた時期である。そのため、病院を患者が選ぶ時代となっている。そういうことから、病院が地域社会から信頼される病院にならなくてはいけないということで"最も信頼される治療機器サービスプラットフォームづくり"というテーマとなった。この第4次再創業運動も成功し、業績は拡大している。

 第4次までの売上高の推移を見ると、1982年19億90百万円、1993年36億30百万円、2002年73億60百万円、2013年95億円(予想)と過去40年間は成功している。

 アンチ・エイジングカンパニーとして、今期はリ・クリエーションのテーマ策定の年を迎えている。企業として未来永劫に成長を続けるために、次代のニーズを捉えたテーマが何であるのか、この1年間でスタッフの模索が続く。

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